こんにちは。
スマイクルの長井です。
前回は原始の家として竪穴式住居を紹介しました。
地域などによって諸説ありますが、竪穴式住居は江戸時代になっても
使用されていた場所もあるみたいです。
関東や中部地方では平安時代まで竪穴式住居が主流でしたが、
近畿地方では平安時代になると平地住宅に移行したと考えられています。
当時、政治・文化の中心は京都を筆頭に、近畿地方が中心だったので、
いち早く住宅も変わっていったのだと思います。
その中でも平安時代を代表する家として寝殿造りが登場します。
寝殿造りは平安貴族が使用していた家です。
寝殿造りは
真ん中の寝殿今でいう主寝室のようなものを
中心に、廊下で東西北のそれぞれの部屋をつないでいます。
そして前に大きな庭園を。
平等院鳳凰堂は仏堂なのですが、当時の権力者、藤原氏にゆかりある建物なので
寝殿造りが採用されています。
この時代あたりから家(建造物)は、住むだけではなく、その時代時代の権力者の力の誇示の一面も
持ち合わせてきたように感じます。
それでは
次回もお楽しみに。